我が家では、たまに友人を家に招いて炭火焼肉をします。
炭火焼き肉セットを一式持っている陣来霧さんのことですから、お肉もこだわって用意します。ええ。
今回は、「肉の宝石・土佐和牛芸術倶楽部」からサムギョプサル(塩)、赤鶏せせり(首の周りの肉)、タッカルビ(コチュジャン)をチョイス。
さらに、「トーチクハム彩の輝工房」から荒挽きポークウィンナーを調達し、毎度好評を得ている蒸しサツマイモや、佐藤水産のルイベ漬けも取り揃えましたよ。
この土日にダメカレーの改良と消費に努めた結果、一段小さい鍋に移し替えられるようになるまで減少しました。
冷蔵庫の中でなんだか異常な威圧感と存在感を主張していましたが、入れ物が小さくなればスペースも少なくて済みますので、だいぶおとなしくなりましたよ。
うん、ヤドカリが小さくなった殻を脱ぎ捨てて大きな殻に乗り換えるのと、なんかちょうど逆だ。
タマネギを買おう。
帰りの電車に揺られながら思ったわけです。
冷蔵庫には、日曜に買っておいたロースカツと卵がある。
今夜はカツ丼だ。
甘辛く煮られたタマネギは、しんなりと柔らかくなりながらもシャキシャキとした歯ごたえを絶妙に残し。
トロッと半熟に仕上げられた卵と絡み合って。
そこに、どーんと登場するカツの厚みのある歯ざわり。
カツは、揚げたてをささっと投入してざっくりした歯ごたえを残すのもいいけども、衣がつゆを吸ってふんわりとなったのを食べるのもまた良し!
あぁ、たまらねぃなぁ。
良くある話だと思うのですが、年末になると、実家にはリンゴがしこたま届きます。
季節の果物ということもあって、あちこちの親戚やら知り合いやらが送ってくれるのですね。
しかし、現在実家にいるのは両親 2 人きり。
とてもではありませんが、ダンボール単位で送られてくるリンゴをさばききることはできません。
ごく必然の流れで、そのお裾分けが私や弟の元にも送られることになります。
2005 年 9 月 19 日。
すでに夜の帳が落ちた千歳空港の、土産物売店の片隅でひたすらに考え込む男がいた。
目の前の棚には「本日のスープカレーのスープ」が山と積まれ、大泉洋の等身大 POP が誇らしげに仁王立ちしている。
(買うべきか、買わざるべきか……)
「ハムレット」の名台詞をひねってみたところで、その悩みの対象は、レトルトのスープカレー。
様になるならないではなく、そこまで深く悩まんだろ普通、というツッコミが入ろうかというところではあるが、本人至って真剣である。
(せっかく、お土産を宅配便で送ったのになぁ……)
帰りの飛行機に持ち込む荷物を極力減らしたいがために、しこたま買い漁った土産物の類は 2 箱に分けて発送済みであった。今さら、ここでかさばって重い物を追加する愚は犯したくない。
そもそも、札幌市内をかけずり回って北海道限定の品物を買い集めている際に、「本日のスープカレーのスープ」はさんざん見かけていたのである。それを、そのたびに「今ここで買わなくてもいいだろ。スープカレーだし、食べたければどこかのお店で食べればいいし」と購買欲を退けていたのは当人である。
この期に及んで迷う理由はない。
しかし、しかしである。何かに対して「気になってしまうタイミング」というヤツが世の中にはある。確かに存在している。
ひとたびその状態に陥ってしまったら、諸々のループにはまってそうそう簡単には抜け出せない。
しかも、物欲のループの場合はさらにタチが悪い。悩むということは購入可能ということだ。買うことは充分問題ないが、必要性に於いてそれはどうなのか。今この時でなくても、例えば通販を使えば買えるのではないか。そういった微妙なラインのせめぎ合いが、脳内では展開されることになる。
たっぷり 5 分は同じ位置に立ちつくしていただろうか。
結局は、「どんな味なんだろう?」という興味が「持ち帰るのは面倒臭ぇなぁ」というものぐささを上回り、男は 2 食入りギフトパックを 3 つ鷲掴みにしたのであった。
本人以外にはわからないジレンマに激しく悩まされたこの男。
インターネットで名乗っているハンドル名を陣来霧といった――。