300 円

港の外れにある倉庫街。
あたりを夜の闇が包んでいる。
時折、鉛色の海を舐めるように灯台の光が照らしては過ぎていく。
「10」と書かれた倉庫のシャッターの前に、黒塗りの外車が止まっていた。
その周囲に、一様にいかつい男たちが 3 人、たたずんでいた。
ぴしりとしたブラックスーツの上からですら、抑えようのない暴力の匂いを容易に嗅ぎ取れる。
彼らはいわゆる、裏の世界の住人。シマとメンツが至上命題、血で血を洗う自由業を生業としていた。
「遅いな……」
呟いた年かさの男が煙草を咥えると、隣に控えていた舎弟がライターの火を差し出す。
その明かりで煙草の男は、ちらりと左手のロレックスを見た。
文字盤に浮かび上がった針は、2 時を 30 分ほど回っている。
「ふぅ……」
やや苛立たしげに吐かれた溜息と共に、紫煙が長く伸びる。その煙が風に薄く散じた時、彼らの耳に「ぼっぼっぼっぼっ」という低い排気音が聞こえてきた。

スクーターが埠頭をゆっくりと走ってくる。「てれてれ」と表現するのがぴったり来るような、到着を待ちわびた者としては苛立ちをさらに煽られる遅さだ。
乗っている男は、ヘルメットをかぶっていない。黒いジャージ姿で無精髭が目立つ。
時間にルーズな上に、身なりにも気を使っていない。だらしない印象がまた、癇に障った。
「ちわ」
くにゃり、と手を挙げるとスクーターを停め、ジャージ男は黒服の男たちに歩み寄った。
「何してやがった? 30 分の遅刻だぞ?」
「ん、悪いね。ちょっと用事」
「てめ……!」
一番下っ端と思われる男が激高するのを、煙草を咥えたままの男が片手で制する。
「それで、ブツは?」
「新宿駅、東口構内のコインロッカー。カギはこれ」
ポケットから出した右手に、プラスチックの札が付いたカギがつままれている。
「さっさと渡せ」
「はい」
ジャージ男は、あっさり手を差し出す。
が、カギを目の前にぶら下げられた男の方は、眉をひそめた。
「なんだ、この手は?」
カギを持っていない方も手の平を上にして、ジャージ男はつまり両手を前に出していた。
「300 円」
「何だ?」
「コインロッカー代」
「そのぐらい、経費として代金に込みでいいだろうが」
「や、そこの自販機でコーヒー買って帰りたいんだけど、今、小銭ないんだよね」
飄々と言う様に、さすがの兄貴分も苦く笑った。
「おい、払ってやれ」
顎で示された舎弟はポケットの小銭を探ったものの、あいにく 100 円玉は 1 つしか出てこなかった。隣の下っ端を肘で小突くが、こちらもどういうわけか 100 円玉 1 枚きり。
「しょうがねぇな」
呆れ気味に言い、煙草を吐き捨てた男が小銭入れを取り出す。
100 円玉は、やっぱり 1 枚。
「…………ほらよ」
少々きまりの悪い思いをしながら、300 円と引き替えに、兄貴分はコインロッカーのカギを受け取った。
「じゃ」
へろへろと片手を挙げ、ジャージ男はスクーターにまたがって去っていった。


それからおよそ 1 時間後。
3 人の黒服は、新宿駅東口のコインロッカーの前にいた。
「「「……あの野郎……」」」
唸るような声が、期せずして重なる。
コインロッカーの残金表示は、「1200」を示していた。
保管料金は 1 日 300 円。つまり、4 日分が未納になっているということだ。
「くそ、300 円どころじゃねぇぞ」
腹立ち紛れに、下っ端がコインロッカーを蹴ろうとして、思いとどまる。ここで下手なことをすれば、人がやってくる。彼らがロッカーから取り出そうとしている物の性質を考えれば、今、人目に付くのはまずい。
「しようのねぇ野郎だが、こいつを調達できるのはヤツ以外にいなかったのも確かだ。とにかく、今は早いところブツを事務所に持ち帰らねぇとな」
兄貴分の言葉に、舎弟がポケットに手を突っ込んで「あっ」という顔になった。
「1,200 円。それを全部、100 円玉で、ですかい……」
やや型の古いコインロッカーは、100 円玉以外に受け付けないようだ。
そして、今の彼らには 100 円玉の持ち合わせがない。
「兄貴、出直しますか?」
「いや、それはダメだ」
ロッカーの上の注意書きを見ていた兄貴分は、渋面で首を振った。
コインロッカーの保管期間は 4 日。それを超えると、管理事務所に移される。管理事務所では 30 日間保存されることになっているが、そうなってから「すみません、私の荷物がこちらにありますでしょうか?」と引き取りに行くことができようはずもない。
「小銭を作る以外にねぇ。おい、そこらの自販機で煙草とコーヒーでも買ってこい」
言われた下っ端は頷くと、小走りに駆け出していった。


5 分ほどして駆け戻ってきた下っ端は、ちょっと涙目になっていた。
「兄貴ぃ……千円札、持ってませんか?」
間の悪いことに、財布の中には万札しかなかったのだ。
なんとなくイヤな予感を脳裏によぎらせながら、2 人の黒服は財布の札入れをのぞき込んだ。


彼らは全員、きれいに万札しか持っていなかった。



さらに 1 時間が経過した。
その間に慌てて事務所に帰って(気が動転していたために 3 人揃って)、あちこちひっくり返して 100 円玉 12 枚を確保し(視野が狭窄していたので余剰の 100 円玉はそのまま置いてきた)、彼らは再びコインロッカーの前に戻ってきた。
そろそろ東の空が白んできている。
これ以上目立つ行動は避けねばならない。
1,200 円をこの上なく慎重に投入し、震える手でカギを差し込み、ゆっくりと回す。
かちりと音がして、コインロッカーのロックが外れた。



「で、出てきたのが、今にも死にそうな赤ん坊でな? ヤクザ 3 人がなんだかもうわやくちゃになりながら、必死に子育てするって話」
……と、「スリーメン&ベビー」のあらすじを説明する友人の頭を、私は広辞苑でひっぱたきました。まる。


ええと、もうかれこれ 5 年くらい前のお話。

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Comments
hayate | 2005/06/18 11:07
いい話だな!!!観てみたいです。
ところで、ワタクシその映画のあらすじ知りませんが、そういう話として了解しておけばよろしいですね?
陣来霧 | 2005/06/19 08:49
いや、違いますから!(笑)
[[こんな感じ::http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=12261]]ですから!
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